白鳥バレエの歴史
創造期 <昭和24年ー昭和32年>
しかし、さらに本格的なクラシックバレエに取り組むために、小牧バレエ学園(東京)に入所、正規な訓練を経て今日に至っている。創設以来、年2回の発表会を行い、数多くの依頼舞台を白鳥が中心になって活動し、つねに盛況だった。また時代が戦後文化意識の昴揚期とあいまち、バレエに対する意識を深め若い踊り手志望もふえ、その技術水準も向上していった。
師の島・長野夫妻より「白鳥会」を任され、「白鳥みなみ」の名を得て、同会を継続することとなった。しかし門下生より独立の研究所が2カ所でき、都合3団体で、鹿児島のバレエは開花期を迎えたのである。
白鳥会では門下生の少人数と力を合わせ鹿児島におけるバレエ正統であり、草分けであることから、クラシックバレエの正しい教育を授けることに努めた。しかし当時、廃寺跡、兵舎跡をてんてんとし、ポータブルをさげての訓練と舞台活動は、草創期の苦難をじゅうぶん物語って余りあるものがある。
しかし、わが国屈指の戦災地で、荒廃し、混迷した終戦直後の鹿児島で、いち早くバレエ公演し、市民に美しく、たくましく生きる喜びと意欲を与えた印象は、今も多くの市民の心に生きている。
昭和17年 | 鹿児島にて豊倉舞踏研究所入門 |
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昭和24年 | ハルピンより引揚帰国の島克平、長野トキ子夫妻の白鳥会(クラシックバレエ)創立と同時に入所 |
昭和28年 | 小牧バレエ学園入所(東京) |
昭和30年 | 白鳥みなみ名を、師長野トキ子より受け、本名有馬美代子は、芸名白鳥みなみとなる。師夫妻は事情により、白鳥みなみに白鳥会を託し、鹿児島を去る。 |
舞踏家養成期 <昭和33年ー昭和42年>
昭和33年、練習所を新築落成して、研究所としては大きな安定を得た。同時にここの練習所が白鳥バレエ団の今日の確固たる基礎を築くことにもなった。
この期は、前期にできあがった門下生を舞台にのせ、プロとして活躍させる、舞踏家養成の重要な時期である。白鳥としては最も力をそそいだ充実した十年といえよう。
つまり、中央と比肩することのできるバレエの人材養成のため、自ら東京に出向くだけでなく、中央との交流、とくに振付師を招いて指示や指導を受け、実質的に大きな進歩発展を見るに至った。そして上演されるバレエも、新作あり、クラシックありで多彩だった。とくに古典バレエだけでなく、自分の郷土鹿児島に根ざした創作バレエに意欲を示した。したがって県民のバレエに対する理解を早め、大きな支持を得て、新しい時代の新しいバレエとして注目された。とくに研究所のサイドワークとして、菓子製造を行い、生徒養成のためにアルバイトを与え、バレエのレッスンに効率的な運営を可能にしたのも、舞踏家養成に、いかに力をそそいだかが知れよう。
昭和33年 | 練習所新築落成 |
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白鳥バレエ鹿屋支部 創設 |
対外公演活動期 <昭和43年ー昭和53年>
昭和43年、白鳥会創立20年記念講演会を開催したが、2日間連続講演に超満員の盛況からして、クラシックバレエが根底的に定着し、確実な基礎づけができたとみて、この20年間の苦闘の成果を評価した。
そこで同年、研究所と併用して対外的な公演活動を主目的とする「白鳥バレエ団」を結成し活動することとなった。
昭和44年に文化庁主催の芸術祭参加公演として「ヤマトタケル」全3幕を上演したのも、その活動の一つである。同公演は東京のバレエ界はもとより、多くの観客が、無名の地方バレエ団に惜しみない拍手を送る超満員の盛況で、当バレエ団にとっては歴史的な公演となった。観客動員に力をそそいだのは勿論総員四十余名、創作から作曲、演出まで全部オリジナルな創作バレエを鹿児島からひっさげての東京公演という意欲からであった。
このことは、教育放送12チャンネルでも、画期的なこととして、ドキュメンタリーの制作となり放映された。さらに昭和48年に再度、芸術祭に参加して、創作バレエ「邪馬台」を上演、舞踏界に地歩を固めるに至った。
また、鹿児島県教育委員会主催で、バレエの県内巡回公演を一手に担うことになったが、当団としては、とくに芸術文化に恵まれない離島へき地の公演に力をそそぎ、大きな影響を与え続けている。一方、海外の一流バレエ団と交流して水準の向上を図ることにも努めている。昭和50年には、白鳥自身渡欧しレニングラードルバレエ団のセルゲーエフ氏、ドジンスカヤ氏、20世紀バレエ団モーリスベジャール氏、またボリショイバレエ団のメッセレル氏らの、すぐれた指導者を訪問、意見の交換及び指導を受ける。
とくに欧州バレエ界の第一人者フランスのミッシェル・ブリュエル氏と親交を結び、氏を鹿児島に招いて「ジゼル」全幕を共演した。以来、鹿児島と欧州バレエとの窓口をつくることに意欲を燃やし続けている。しかし、白鳥の作品は日本のバレエを作ることに専念しているので、日本の古代を追求するものが多いのも高い評価を受けている。
そして、日本文化を支える地方文化として、地方の芸術文化の振興に大きな意欲と使命感をもって、活動している。
昭和43年 |
白鳥バレエ創立20年記念公演 「ジゼル」全二幕 |
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研究所と併行し、対外的な公演活動を主目的とするバレエ団結成(白鳥バレエ団) | |
昭和44年 | 文化庁主催芸術祭に参加公演/創作ドラマチックバレエ/「ヤマトタケル」全三幕 [会場]厚生年金会館大ホール[台本]有馬ヱミ[構成振付]白鳥みなみ[演出]有馬秀人[作曲]木村雅信[演奏]東京交響楽団 同年より九州民音主催にて「ヤマトタケル」「ジゼル」「ロシア民族舞踏」にて九州各都市を巡回公演を数年続ける。 |
昭和45年 | 文化庁助成にとる九州沖縄文化協会主催沖縄公演に「ヤマトタケル」全幕上演 |
昭和47年 | 白鳥みなみ、鹿児島県バレエ舞踏家協会結成に尽力、会長となる。 |
昭和48年 | 鹿児島県教育委員会主催鹿児島巡回劇場より、毎年20会場 内外 |
昭和48年 | 文化庁芸術祭に創作ドラマチックバレエ「邪馬台」で再度出演 [総勢]50人[作曲]石井歓[演奏]新星日本交響楽団 |
大阪産経ホール「邪馬台」上演 | |
昭和53年 | 鹿児島県巡回公演 年2会場 鹿児島県補助事業 鹿児島県バレエフェスティバル 年1会場 |
昭和50年 | 白鳥みなみヨーロッパ、モスクワに留学 レニングラード、キエフボリショイ等、外国の有名舞踏家、振付家と親交を深める。 同じく白鳥の実弟有馬秀人、鹿児島県育英財団国外留学生としてヨーロッパ、ソ連にバレエ留学 |
昭和51年 | 文化庁芸術参加作品、南日本放送制作バレエストーリ− テレビ部門「墓標の賦」制作 |
民放祭参加作品 南日本放送制作 バレエストーリー「遠い貴方」の制作 |
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フランスの金賞受賞者、ミッシェル・ブリュエル氏を招き、「ジゼル」全幕を共演 | |
昭和52年 | 白鳥みなみ鹿児島県芸術文化奨励賞(第一回)を受賞 |
海外交流活動期 <昭和53年ー昭和63年>
昭和50年白鳥みなみのヨーロッパ・ソ連留学と有馬秀人の鹿児島県育英財団国学留学生としての1年のヨーロッパ留学及び51年のミッシェル・ブリュエル氏との共演を契機に海外との交流期に入る。ヨーロッパで生まれ育ったクラシックバレエが鹿児島でどう育ったのかを確認するとともに、より一層の飛躍を目的とし、昭和54年白鳥バレエ団30周年記念公演に再びフランスよりミッシェル・ブリュエル氏、ポーランドよりワルシャワ国立バレエ団第一舞踏手ジスワス・スィオロー氏を招き3カ国合作のジゼル全幕を公演、又30週年を機に白鳥みなみ後援会が設立され毎年の公演活動や海外公演等の援助に乗り出す事となった。
昭和55年・57年には再度ポーランドよりジスワス・スィオロー氏を招き「くるみ割り人形」全幕「眠れる森の美女」全幕を上演し海外の影響を受け国際的なバレエ団を目指している。
昭和54年 | 白鳥バレエ30周年記念公演/「ジゼル」全幕/フランス、ミッシェル・ブリュエル氏 招聘/ポーランド、ジスワス・スィオロー氏 招聘 [演出]小牧正英 白鳥みなみ後援会発足 |
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昭和55年 | シンガポール文化省主催/シンガポール芸術祭開幕公演に招待される/「古代への追想」全幕/「白鳥の湖」第二幕/シンガポール・ナショナルシアター(国立劇場) |
昭和56年 | ワルシャワ国立劇場第一舞踏手ジスワス・スィオロー氏を招き「くるみ割り人形」全幕公演 |
昭和57年 | ワルシャワ国立劇場第一舞踏手ジスワス・スィオロー氏を招き「眠れる森の美女」全幕公演 |
昭和58年 | 白鳥の末弟 有馬理、鹿児島育英財団国外留学生としてニューヨーク、パリにバレエ留学。 |
日本バレエ協会九州南支部(熊本、鹿児島、宮崎、大分)が設立され、白鳥みなみが初代支部長に就任。 | |
定期公演「くるみ割り人形」全幕公演「全国合同バレエの夕べ」 | |
鹿児島県巡回公演「くるみ割り人形」/鹿児島県巡回劇場(20会場)公演 | |
昭和59年 | 定期公演「くるみ割り人形」/「全国合同バレエの夕べ」/鹿児島県巡回公演「くるみ割り人形」/鹿児島県巡回会場(18会場)公演 |
昭和60年 | 定期公演「くるみ割り人形」公演/鹿児島県巡回公演「くるみ割り人形」公演/鹿児島県巡回会場(15会場)公演 |
昭和61年 | 定期公演「ワルプルギスの夜」/鹿児島県巡回会場(12会場)公演 白鳥バレエ団演出家、有馬秀人 鹿児島県芸術文化奨励賞を受賞 |
昭和62年 | 定期公演「くるみ割り人形」公演/鹿児島県巡回公演「くるみ割り人形」・鹿児島県巡回会場(13会場)公演 |
昭和63年 | 鹿児島県バレエフェスティバル「くるみ割り人形」公演/鹿児島県巡回公演「くるみ割り人形」・鹿児島県巡回会場(10会場)公演日本バレエ協会九州南支部ジュニアバレエフェスティバル公演(鹿児島) |
バレエ団開花期 <平成元年ー平成30年>
平成2年、白鳥バレエ団は創立40周年を迎え1月、記念公演として白鳥みなみが、長い年月暖め、膨らませた、白鳥みなみの創作バレエの集大成ともいうべき「平家物語」発表、次いで10月、同じく「平家物語」で文化庁芸術祭に3回目の参加を果たし激賞を受く、これらの功績により日本バレエ界の権威である「橘秋子賞」を受賞。このことはMBCテレビ、ドキュメンタリードラマ「平家に魅せられた一族、その愛」として放映される。
又平成4年には民音例会に取り上げられ「平家物語」を公演。
平成6年10月、鹿児島市民文化ホール自主文化事業に鹿児島の文化団体として初めて取り上げられ「平家物語」を公演するなど、バレエ団の開花をみた。
平成元年 | |
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平成2年 | 白鳥バレエ団40周年記念公演「平家物語」/文化庁芸術祭参加「平家物語」公演 日本バレエ協会九州南支部ジュニアバレエフェスティバル公演(熊本) |
平成3年 | 橘秋子賞受賞(白鳥見なみ) 日本バレエ協会九州南支部ジュニアバレエフェスティバル公演(大分) 日本バレエ協会九州南支部ジュニアバレエフェスティバル公演(宮崎) |
平成4年 | 鹿児島県巡回劇場(6会場)/鹿児島県離島芸術劇場「白鳥の湖」(全幕)公演・鹿児島市小中学校劇場(5会場)/民音例会「平家物語」公演 椋鳩十児童文学フェスティバル「おしどり物語」公演 南日本文化賞受賞(白鳥見なみ) |
平成5年 | |
平成6年 | 鹿児島市民文化ホール自主事業「平家物語」公演 鹿児島県バレエフェスティバル公演 鹿児島県巡回公演 鹿児島県巡回劇場(6会場) 鹿児島市小中学校芸術鑑賞劇場(5会場) 椋鳩十児童文学フェスティバル「おしどり物語」公演 日本バレエ協会九州南支部ジュニアバレエフェスティバル公演(熊本) |
平成7年 | 鹿児島県バレエフェスティバル公演/鹿児島県巡回劇場(7会場) 鹿児島市小中学校芸術鑑賞劇場(5会場) 椋鳩十児童文学フェスティバル「夕焼け色のさようなら」公演 |
平成8年 | 鹿児島県バレエフェスティバル公演/鹿児島県巡回劇場(7会場) 鹿児島市小中学校芸術鑑賞劇場(5会場) 椋鳩十児童文学フェスティバル「夕焼け色のさようなら」公演 日本バレエ協会九州南支部ジュニアバレエフェスティバル公演(大分) |
平成9年 | ロシアバレエ、ジョイント公演/鹿児島県巡回劇場(7会場) 鹿児島市小中学校芸術鑑賞劇場(5会場) 椋鳩十児童文学フェスティバル「夕焼け色のさようなら」公演 日本バレエ協会九州南支部ジュニアバレエフェスティバル公演(鹿児島) |
平成10年 | 鹿児島県巡回劇場(7会場) 鹿児島県バレエフェスティバル公演 鹿児島市小中学校芸術鑑賞劇場(5会場) ロシアバレエ、ジョイント公演 椋鳩十児童文学フェスティバル「マヤの一生」公演 日本バレエ協会九州南支部ジュニアバレエフェスティバル公演(宮崎) |
平成11年 | 鹿児島県巡回劇場(7会場) 鹿児島市小中学校芸術鑑賞劇場(5会場) 鹿児島県バレエフェスティバル公演 ロシアバレエ、ジョイント公演 椋鳩十児童文学フェスティバル「マヤの一生」公演 日本バレエ協会九州南支部ジュニアバレエフェスティバル公演(熊本) |
平成12年 | 白鳥バレエ創立50周年記念公演/鹿児島県巡回劇場(7会場) 鹿児島市小中学校芸術鑑賞劇場(5会場) ロシアバレエ、ジョイント公演 日本バレエ協会九州南支部ジュニアバレエフェスティバル公演(大分) |
平成13年 | 鹿児島県巡回劇場 鹿児島県バレエフェスティバル公演 ロシアバレエ、ジョイント公演 日本バレエ協会九州南支部ジュニアバレエフェスティバル公演(鹿児島) |
平成14年 |
鹿児島県巡回劇場 |
平成15年 | 鹿児島県巡回劇場 鹿児島市小中学校芸術鑑賞劇場 鹿児島県バレエフェスティバル公演 日本バレエ協会九州南支部ジュニアバレエフェスティバル公演(熊本) |
平成16年 |
地域文化功労賞文部科学大臣表彰受賞(白鳥見なみ) |
平成17年 | 鹿児島県巡回劇場 鹿児島市小中学校芸術鑑賞劇場 鹿児島県バレエフェスティバル公演 日本バレエ協会九州南支部ジュニアバレエフェスティバル公演(鹿児島) |
平成18年 | 鹿児島県巡回劇場 鹿児島市小中学校芸術鑑賞劇場 霧島市合併記念バレエ公演 霧島市文化会館 「ヤマトタケル」公演 鹿児島県バレエフェスティバル白鳥バレエ公演 鹿児島市民ホール 「ヤマトタケル」公演 日本バレエ協会九州南支部ジュニアバレエフェスティバル公演(熊本) |
平成19年 |
鹿児島県巡回劇場 |
平成20年 |
鹿児島県巡回劇場 |
平成21年 |
鹿児島県巡回劇場 |
平成22年 |
鹿児島県巡回劇場 |
平成23年 |
鹿児島県巡回劇場 |
平成24年 |
鹿児島県巡回劇場 |
平成25年 |
鹿児島県巡回劇場 |
平成26年 |
鹿児島県巡回劇場 |
平成27年 |
鹿児島県巡回劇場 |
平成28年 |
鹿児島県巡回劇場 |
平成29年 |
鹿児島県巡回劇場 |
平成30年 |
鹿児島県巡回劇場 |
平成31年・令和元年 |
鹿児島県巡回劇場 |
令和2年 |
鹿児島県巡回劇場 |
令和3年 |
鹿児島県巡回劇場 |
令和4年 |
鹿児島県巡回公演(3会場) |
令和5年 |
鹿児島県巡回公演(3会場) |